「人を見た目で判断しないで」は、ただのわがまま。

エッセイ

ある女子大生がメイプル超合金のカズレーザーさんに投げかけた「人を見た目で判断するな!」という怒りの声に対して、カズレーザーさんの返しに賛同の声が寄せられたのはもう一年近く前の話だ。
皆さんは「人を見た目で判断する人」をどう思うだろうか?

人を見た目で判断しない場合

例えば警官が制服を着ている。この人を警官だと判断しない理由はなんだろうか?
例えば覆面をかぶってナイフを持っている人がいる。百歩譲ってナイフがおもちゃだと納得して、犯罪者だと判断しない理由はなんだろうか?

人は見た目で判断し、状況を把握している。見た目で判断することは、むしろ防衛本能の一つだといえよう。これを真っ向から否定する言葉が「人を見た目で判断するな」なのだ。

「見た目で判断するな!」はただのわがまま

そもそも、他人があなたをどう見ていようと他人の勝手なのである。むしろその他人の考えさえも自分の思い通りにしたいというあなたの考え方自体が「わがまま」なのである。
あなたが派手な格好が好きだから派手な服を着ている。初対面の人に「遊んでそう」と思われようと自分が選んだ服装なのだから他人がどうとらえようと勝手なのである。
それによって陰で「あの子は遊んでそうだね」と言われてしまおうと、あなたという原因が生み出した結果なのであって、他人にとっては必然的な結果なのだ。

見た目で判断しなくても良い判断ができるのか?

ほんのわずかな人だけ「オーラ」というものが見える。スピリチュアルが広まった昨今だから一般に受け入れられるようになったオーラ。
人はそれぞれオーラを放っていて、色と形が異なる。このオーラというものは人の見た目に左右されることなくその人の持つ特徴を捉えることができるようだ。
常識ある良心的な人はピンクやオレンジなどの温かいオーラ、また外交的な人はオーラが外側に向き、内気な人はオーラが内側に向く。
オーラならばその人を外見だけで判断せずにいられるのかもしれない。しかしそれを多くの人に求めるのは困難である。つまり現状では人は外見でまず相手の印象を見極めておかなければならないのだ。

タトゥー問題で争われた「見た目で」と「見た目だけで」の意見

「人を見た目で判断するな」と「人を見た目だけで判断するな」で意味が違う!と類似した討論になったのはロンドンブーツの田村淳さん。「タトゥーの件 見かけで判断するな! と 見かけだけで判断するな! は かなり違うと思う…」という話をされていた。
どちらにしても、他人がどう判断しようと他人の勝手なのである。あなたがそのように判断してほしくないだけで、あなたの一方的なわがままなのだ。つまり「見た目で・あるいは見た目だけで判断する奴は悪い」という人がいたとしても、そんなことはあなたに言われる筋合いはないし、むしろあなたのその思想を押し付ける方が悪なのである。あなたがタトゥーを入れることが自由なように、相手もまたどのようにとらえようと自由なのだ。

結局のところ、まだ考え方が幼いのかもしれない

あまり「人を見た目で判断するな!」という人たちを悪く言うつもりはないが、これを機に気づいていただきたい。
「人を見た目で判断するな」は、あなたの「人からはこう見られたい」「人に私を判断してほしくない」という願望・自分保守欲求から生まれてくるものだ。つまりあなたは自分の欲を他人に求めているのである。
自分の欲求を抑えられないというのは幼児や小学生にみられる駄々をこねる行為に等しい。まだ心が未発達であるがために欲求を抑えられないのかもしれない。

他人に同意を求める必要はない。他人に共感を得る必要もない。あなたが正しく生きていればそれで問題ないのである。

あなたはどう思っただろうか?

ピックアップ記事

関連記事一覧

  • コメント ( 0 )

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。