危険を予知できる人としない人

エッセイ

工場系で働いている方なら知っている方も多いと思いますが「危険予知」というものがあります。

例えば車で出勤する際に、どのようなところに危険が潜んでいて、どのようにそれを予知して未然に事故を防ぐのか。というのを自ら考えその答えを導き出させることで、運転に気を付けるようとするなどの取り組みです。

工場では特に事故が多いため、機械に挟まれないようにどのように気を付けなければならないか、どのように確認しなければならないかを定期的にチェックし合います。

その習慣が身に着くと、不思議と日常生活の中でも危険が存在していることに気づき生活の中で「危険予知」ができるようになります。

例えば1歳くらいの小さな子供さんをお持ちの家庭ならば、高いところに重たいものを置かないようにするなどの対策を行うことがあります。これも

小さい子供が下の台を揺らして、その衝撃で上の重たいものが子供に落ちて大けがをしないように

という危険予知によるものです。

この「危険予知」ができる人とできない人が世の中にはいることを最近なんとなく理解しました。
危険予知ができない人の中には「予知ができない」のではなく、「そのくらい大丈夫だよ」と危険に対して軽視する傾向にあることがわかりました。つまり「危険を予知しようとしない」人たちです。

ある家のお婆さんは田舎育ちなので芋などを台所では剥かずに、リビングの椅子に座ってゴミ箱の前で包丁を通路側にむけて剥くそうです。するとその目の前を3歳くらいの子供が笑ながら兄弟で追いかけっこをする。それを見た若奥さんが血相変えて

「お義母さん!子供が滑って包丁に当たるかもしれないから通路側で剥かないでください!」

と言ったそうです。しかしお義母さんは

「大丈夫だよ、飛び込んできたら包丁をしまうから。」

といって聞く耳を持たなかったそうです。
若奥さんからしてみれば、お母さんは70近いお婆さん。身体能力だってかなり落ちているはずなんです。もう気が気じゃなかったと言っていました。

危険予知ができるできないによって、命を落としてしまうこともあります。
飲酒運転も同じです。危険予知ができていれば「自分は酔わないから大丈夫」などと軽く考えないでしょう。

あなたの「大丈夫」は本当に大丈夫なのかどうか、もう一度考えてみた方が良いかもしれませんよ?

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