人間関係はない方がよいのか?マツコさん発言に思う生きる意味

エッセイ

私は対人関係がすこぶる苦手で、できることならば誰とも会うことなく仕事ができたら気楽だな~なんて思っている。
しかしながら、それは自分の仕事に対しての感情で合って、自分がお客になった場合の対人関係は別なのだ。
つまりクライアントが自分を目的で会いに来る場合と、自分が何かを目的にして会いに行く場合とで気持ちが変わるのである。
大変自分勝手で変な感情であることは理解できるのだが、これがなかなか解決できない。

「人間関係なんてない方がいい」

2018年11月12日に放送された「5時に夢中!」という番組内で、夕刊フジの「心の健康相談室」での一コマを取り上げた。
75歳の男性が心の悩みを持ち、相談した際の医師側からの回答が「次回の診療までに初対面の人最低5人と会話をしてきてください」という過酷なもので、これによって患者がストレスを感じるようになってしまったというお話だ。

これに対してマツコ・デラックスさんは「誤解を生むかもしれないけれど」「人間関係なんてない方が絶対いいんだよ。ろくなことない」「そこに他者というものがあるから、人間は苦労する。」と発言。これに対してネットでは

「マツコと同意見。他人との関係で生きづらくなるなんて本末転倒」

という賛成意見から

「人付き合いしなければ楽だけど、感情や思考が衰えていく」

という反対意見もでてきた。

あなたは何のために生まれてきたのか

宗教的な見方でもいいし、自分なりの考え方でもいい、また私がよく聞いている「斎藤一人」さんのような講演家の方の話でもいい。「あなたは何のために生まれてきたのか」。あなたはどう考えるだろうか。
仏教ではもう2500年前にお釈迦さまがその答えを教えてくれていた。最近ではその難しい仏教の内容を現代人でもわかりやすい言葉に変えて話してくれる講演家の方々がたくさんいる。そして講演家の方々は「疑い深くなった現代人」に向けて表だって「仏教の話」とは言わない、誰にでも理解できるように「いい話」として講演されている。そのひとり「斎藤一人」さんの言葉を借りさせていただければ

「神様は幸せにしてはくれないんだよ。でも、幸せになる材料はいっぱいくれるんだよ。」

あなたが嫌だなと思うこと、例えば意地の悪い上司がストレスだ~とか、あの子がいじめてくるだとか、人と話すのが嫌いだとか、あなたが嫌だなぁと思うことは全部あなたが幸せになるための材料なんだよってことなのだ。これは2500年前から仏教の経典に書かれていることでなにも最近になってわかってきたことではない。ただ信じない・信じることができない人間が増えただけのハナシなのだ。

人間関係はなくてはならない

つまり、「人間関係なんてない方がいい」ということは決してなく、人間関係でトラブルをつくれるということは「幸せになるための材料・宿題」が自分に与えてもらえているということになる。そしてそのトラブルを解決できた時、あなたは大きな幸せを手にできるという。仏教ではトラブルの相手を「因縁の相手」と呼ぶ。過去世で作ってきた因縁を解決することであなたはもっと楽に生きられるようになるのだ。

これはあくまでも仏教から見たもののとらえ方であって、信じるも信じないもあなたの選ぶ道である。やはり現代人には「仏教」という響きより「いい話」という響きの方が受け入れやすいだろう。

マツコさんの発言は間違いではない

マツコ・デラックスさんが発言された「人間関係なんてない方が絶対いいんだよ。ろくなことない」「そこに他者というものがあるから、人間は苦労する。」という発言の裏には、悪い人間関係が生まれないくらい自分が幸せになればよいということ、問題を解決してしまえばいいということなのだと思う。嫌な上司がいたとしても、それを嫌だと思わないでいられるあなたの考え方の転換、あなたの生活の改善、心の状態など…それらはあなたが幸せになるために神様がくれた材料なのだ。

あなたはどうとらえるだろうか。

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