「ブルジョア障害者」発言について、少しだけ考えてみた

エッセイ

2018年10月30日に放送された「バイキング」(フジテレビ)にて、さいたま市議会での吉田市議が「障害で働けない、収入が少ない、だから『医療費を安くしましょう。』『タダにしましょう。』これはわかります。でも障害者でもですね、なかにはうち(さいたま市議会)にもいますけど、年収1354万5000円の車イスに乗った障害者がいるわけですよ。こういった高収入のブルジョア障害者の方は負担していただいても構わないわけですよ」と発言したことに対して、サンドウィッチマンの伊達みきおさんが答えた言葉にスタジオが凍り付いたというのがあらすじ。

「これ、“ブルジョア”っていうのは“裕福な”とかそういう意味なんですよね? 誰がこれを聞いて怒ってるのかな? とちょっと思って。全然差別的な用語ではないような気がするんですけどね。差別的な用語ではないですよね?」と話した伊達さんに対し、司会の坂上忍が「ん? VTR見ましたよね?言い方も含めて」「ブルジョアという単語自体は悪い言葉ではないですけれども、ブルジョアと障害者という言葉をくっつけて、ブルジョアをも揶揄したようなニュアンスで、とても不適切なワードだと僕は思いますけれども」と返しネットでも意見が割れた。

ただこの後この話題に触れることなく番組を終えてしまったため、ネットで意見が割れただけでこれといった模範解答がなく私の中でずっとモヤモヤしていた。

結局のところ番組としてはNG

このやり取りを見たネットユーザーからは「伊達さんが正しい」「坂上忍の返しがパワハラだ」、「言論の自由がない」などの反対派意見が相次いだ。
確かに、「ブルジョア」という表現が「悪い表現ではない」とした場合、伊達さんの意見が正論に見える。「ブルジョア」という表現が「お金持ち」という意味合いだとすれば、「お金持ちの障害者」という言葉になるためそれほど騒ぐようなことではないのではないかと感じてしまうからだ。

また、坂上さんがおっしゃるように「不適切なワード」だとするのであれば具体的にどの部分が不適切なのかを番組内でより具体的に誰もがわかるように説明しなければならなかったのではないかと私は思う。
現に伊達さんにとっては、それが不適切だと感じていないのだから、なぜダメなのかを示すのが本来のメディアの務めではないかと思うのだ。
つまり番組の放送内容を決める時点で、なぜ悪いのかを説明させる(司会者などに任せるのではなく)カンペを用意しておくべきだったと思う。

不適切な原因を考えてみる

ニュアンスの違いか?

皆さんも経験ある方がいるのではないかと思うが、子供のころから使ってきた言葉のニュアンスが地方や使っている仲間によって異なっていた経験はないだろうか。
つまり自ら辞書で調べることもなく、周りが使っていた言葉を周りの人間から意味を聞き、それがその単語の意味なんだと思うことで、その単語の本来持つ別の意味を理解せずに使っていることが。

例えば、お恥ずかしながら私は「ぎっちょ」という「左利き」の人を指す言葉をただの方言だと思い込んで生きてきた。
大人になってその意味が「ぶきっちょ」という左利きの人をバカにした表現からできた差別用語だということを知った。
こうやって子供のころに覚えた単語や、仲間内で使っていた言葉はそれほど深い意味を知らずに、それが悪い意味だとは知らずに使っていることがある。

「ブルジョア」という表現は、「お金持ちの人たち」という意味で使われることが多いが、実はそれ以外にも「贅沢」や「働かず労働者などから搾取している」といった意味合いも持っている。
つまり、「ブルジョア」という単語自体が侮辱的で差別用語なのだ。

しかし伊達さんをはじめ多くのネットユーザーはこの侮辱的な意味合いを知らないし、負の印象を持っていない。
そして何より、坂上さん自身も「ブルジョアという単語自体は悪い言葉ではないですけれども」と言ってる。また、このコメントを受けた傳田市議も「ブルジョアと言われたことに対して不快な思いをしたのではない。その言葉の根底にある彼の意識について問いたい」としている。つまりブルジョアという表現自体がNGだったわけではないのだ。

番組をふりかえってみよう

坂上さんはこう言っている。「言い方も含めて」「ブルジョアをも揶揄したようなニュアンスで」。実はここがポイントで、ネットでは「ブルジョア障害者」という言葉だけで判断した場合の意見と、市議が話した内容全文で受けた場合の判断で大きく異なってくるのではないかと考えられる。
「ブルジョア障害者」とただ単に言葉だけ見ていくと「リッチな裕福な障害者」という印象で大変うらやましいポジションの印象だが、前後の文言をつなげて読むと「年収1354万5000円の車イスに乗った障害者がいるわけですよ。こういった高収入のブルジョア障害者の方は…」と、わざわざなぜ「ブルジョア」をつけ足している。単語の前に「高収入」と言っているので、「ブルジョア」は必要なかったのではないだろうか。またブルジョアを付け足すことでややおちょくっているような、小ばかにしているような印象を与える。坂上さんはこのことを言っていたのだろう。

ただ、傳田市議は「議員報酬は同額なのに、なぜ私だけブルジョアなのか。…その言葉の根底にある彼の意識について問いたい」としているが、実はこの意見も少しわからない。「議員報酬は同額なのに、なぜブルジョアなのか」つまり議員報酬が同額であれば富裕層扱いはおかしい。ということなのだと感じ取れる表現なのだが、議員報酬の年収1354万5000円は富裕層だという認識ではないのだろうか?ほかの障害者の年収と比較してのことなのだろうか?ここもやや疑問が残る言葉だったわけだが、勝手に言葉の意味を間違って解釈してしまうといけないのでここまでにとどめておきたい。だが番組で問題視している論点と傳田市議の発言とに食い違いがあるような感じは否定できない。

人それぞれなのか

結局のところ、この一連の発言を不快に思う人もいれば、まったく気にしない人もいる。発言した本人もそれほどバカにしたつもりはなかったのかもしれない。そうなってくると、これを討論したところでやはり答えは出せないのではないかと感じるのだ。そもそも育ってきたベースが違う。方やバカにしたつもりがなくとも、相手にはバカにされたと感じることもある、そんな会話に対して番組内で意見が割れたとしてもやはり決着は難しいだろう。

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